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おかしな逮捕劇と日本人の思考癖と

ゴーン氏の逮捕勾留。
氏はかなり強引であったとはいえ,一大企業の業績回復をさせた。

欧米風のリストラを断行して,業績の回復は達成した。日本人のトップではなかなかできなかったのでは無いかと見られます。そして自らの報酬もうなぎのぼり。
ゴーン氏後,大した業績を上げていなくても,億の報酬をとる経営者がわんさか出てきました。

なにやら違和感を持ったのは,逮捕の報が流れるや,大手マスコミがいっぺんに批判に回った事です。同社の違法問題が色々出て来た時でも,ゴーン氏の責任を問う声は余りなかったように思うのですが。

マスコミ論調含め日本人のおかしなところは,逮捕されたから悪い奴(のはず)だと。
裁判でさえ,下級審と上級審で判断が割れることがあるし,おまけにこの頃は司法の独立性が危ぶまれています。それでも負けた奴が悪い奴,勝てば官軍と。ゴーン氏の例は裁判にすら掛かっていないのに,逮捕されたから悪い奴だと。どれだけ検察に盲目的信頼を置いているのでしょう?いくら悪いことをしても,逮捕されなければ悪くないのでしょうか?

籠池氏の例がありました。
しばらく前は,小沢一郎氏の秘書逮捕の件。
酷いのになると,収賄額ゼロの収賄事件などがでっちあげられました。
オウム事件では,被害者だった河野さんを寄ってたかって叩いたのは何処の人たちだったのでしょう。この様な例は他にもあちこちにあるではないですか。

昔,田中角栄がロッキード事件で逮捕されたときのことを良く覚えています。
当時は,推定無罪の原則などお構いなく,つい直前まで首相を務めていた角栄氏を,NHK始め報道各社は,「田中は,」と呼び捨てにして,いっぺんに犯罪者にしてしまいました。この事件で,手のひらを返したように国民多数の圧倒的支持で首相にまでなった角栄氏の批判に回った人が多かったように思います。

父親が角栄氏の大ファンでした。
私はまだ選挙権も有りませんでしたが,田中角栄氏に対しては,言われるほど悪い印象も持っていませんでした。何分,その前の佐藤氏や岸氏のような官僚出身でなく,民間人上がりで国民の大変な支持の下に現れた首相と言う認識でした。在職中に起こった狂乱物価などは必ずしも角栄氏の施策で発生したわけでも無いと思っていましたが,角栄氏在任中に発生した金大中事件の処理に関しては疑問を持っていました。日本の主権が侵されて,金大中氏が拉致されたのに,韓国に対してなぜ何の抗議もしないのか?とイラついていました。ずいぶん後になって分かったのは,韓国の朴政権がやっているのを分かっていてダンマリを決め込んでいたとのことです。

それはそうとして,今となっては,ロッキード事件とは,ほぼアメリカの頭越しに中国と国交回復を断行した角栄氏へのアメリカからの失脚工作だったと見てほぼ間違い無いでしょう。もちろん当時でもその疑念はあったわけですが,ほぼ陰謀論で片付けられました。

昨年12月,中国のファーウェイの副会長がカナダで逮捕されました。情報収拾活動?アメリカのイランへの制裁に違反?したという廉です。ファーウェイ製品は危険だとのことで,日本を含め西側?各国は国の機関などからの同社製品の締め出しを行なっています。国家が一民間企業に協力して情報収拾工作を行なうなどというのは確かに大いなる問題です。

しかしながら,アメリカが行なっていた各国首脳に対する諜報活動など,その一部が明るみに出ただけでも凄まじいものであったはずです。同盟国だからと,そちらには何の指摘もせず,ファーウェイ製品に関しては,危険性を確認したのかどうなのかすらはっきりしないまま,アメリカの方針に唯々諾々と従っているようです。

必ずしも真実かどうかもはっきりしないものを何故信じるのでしょう?
昨今の政治状況に対する追認もそうです。現政権は,マスコミや教育をコントロールすることで,国民の支持を保っているようです。

ふと感じたことがあります。
どうも,日本人の美学は,「与えられた環境で最善を尽くして頑張る。」
という事のように思えます。
このことは決して悪いことでは有りません。それどころか,最も優れた日本人の行動原理の様に思われます。

子供の頃の団体活動から始まり,学校の部活動,会社での組織的仕事,町内会の仕事,同人趣味の寄り合い等々で。そこでの活動に疑問を持っても(持ってはいけないのです),最善を尽くして頑張る。しかしながら,この美学は非常に大きな欠陥も含んでいます。過去の最大の過ちである第二次大戦ですら,日本人はこの行動原理に沿っていたわけです。絶望的な戦局にすら音を上げず,人類史上初の核兵器による被害を1度ならずも2度も食らって,やっとこさ止められたのです。米英が戦争をふっかけて来たという側面は当然有りますが,被害があまりにも大きすぎました。

あの大戦はむしろ日本人の「与えられた環境で最善を尽くして頑張る」ことを極限まで推し進めたものであったといえます。なぜ「与えられた環境」がよくない場合,それを変えるべく努力しないのか?ということです。与えられた環境で頑張るよりも,「与えられた環境」そのものを変えるほうが遥かに前向きである可能性があるのにです。

戦前は日本の民主主義は未成熟で,国民個人が国家に対してものが言えなかったという側面はあるでしょう。環境の方を変えると言う選択肢がほぼなかった。戦後アメリカの占領政策があったと言え民主国家になりました。一応ならずとも言論の自由や表現の自由が与えられたのです。参政権を通して環境の方を変えることも国民多数の力でできるようになったのです。

これもいわば与えられた民主主義下ですが,頑張って,奇跡の経済成長を成し遂げました。これまた日本人の美点が発揮されました。
1980年代には日本の工業力は極大になり,バブル到来。東京都だか日本の値段でアメリカが二つ買えるとか四つ買えるとか,とんでもないことを言われたものです。それならば,東京都を半分売って,アメリカを買っちゃえば良いではないか?と思ったものですが,後になって思えば,それは全く絵に書いた餅だったのですが。

打って変わって低成長の時代が続きます。
80年代当時必ずしも日本の工業製品が世界一とは思いませんでしたが,アメリカ製品よりはずっと安く,韓国製品や中国製品などよりは圧倒的に高品質でした。

日本経済の不調には沢山の複合要因があることでしょう。それをここで分析することはしません。しかし,日本経済が先進国の中では人口の多さでカバーしていることは確かです。少子高齢化で経済が収縮するのは如何ともしがたく,目に見えているのです。

国民主権ですから,国民自らの意思でより良い方向に変えられるはずです。
しかし,悪い環境が与えられつつあるのにそれを食い止めようとしない。正そうとしない。悪い環境下でもそこで頑張るしかないと。

いやむしろ,必ずしも与えられた環境で頑張っていないのではないか?と思えて来ます。
「与えられた環境」が会社の仕事などの経済活動だけならばまだよかった。そこで大きな成果を上げた。しかし,政治的社会的活動に関してはまるでダメでは無いですか。成人には選挙権が誰かれなく与えられているのに,投票に行かなくてもいいとか言う政治家やマスコミがいる始末。発言の自由が与えられていても変な気を使って口をつぐむ人。与えられた環境を使い切っていないのに,環境の方を変えようとしている(変えられても仕方がないと思っている)のではないかと考えられます。これでは日本人の美点が生かされるわけがありません。
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コメント 4

majyo

おかしな逮捕劇です。
ある日突然失脚させられ、落とされ、
検察も司法も機能しなくなります。
いくつもの事件が皆そうです。
全て頷いていますが、書けないのが残念です。
by majyo (2019-01-17 15:50) 

Enrique

majyoさん,あちこちでおかしな逮捕劇頻発ですが,まともに真相探るという報道も見られません。
とが無くても捕まれば悪い奴で,いくら悪いことをしても捕まらなければ「他の内閣よりもよさそう。」とか,バカ言ってんじゃ無いよ!ですね。

by Enrique (2019-01-17 20:33) 

gonntan

与えられた環境の中で頑張るのが日本人で
環境やルールすら自分たちの都合良く変えようとするのがヨーロッパ人
なぜそのような思考や行動になっているのか?なんででしょう?
by gonntan (2019-01-18 21:59) 

Enrique

環境は与えられるものという意識。日本よい国だからその中で頑張りましょうと。私自身違和感を持ちながらも何とかやってきましたので,その立場で考えるには限界があるのかもしれません。
日本式システムの中では現状に異を唱える者は排除されます。ゴーン氏のような辣腕外国人経営者が必要であったのも日本社会(の会社)で,今度はまたそれが邪魔になったということなのでしょう。
by Enrique (2019-01-19 09:56) 

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