SSブログ

~するのが当たり前

「~するのが当たり前」という考え方が,日本の社会では当たり前のようです。

その意味すら考えない。

それをあからさまに指摘すると,下手をすると危険人物だと思われます。

神仏を敬うのに,異論はありません。
当方の兄などバリバリの神道系の大学出身者で,正月など良くお手伝いに行っていました。
初詣に行って,お賽銭を入れる。日本の美しい風物詩です。鎮守の森で保たれる生物多様性。素晴らしいことです。末永く保ってもらいたいと思います。

お祭りや七五三のお参り。地鎮祭のお祓いをお願いしてお代を払わない人もいないでしょう。当方も今まで何度も相応の対価を支払っています。

しかしながら。
まず初穂料なる神社への寄付金を町内会に集めさせるのはグレーです。
ましてや町内会会計から無条件で支出させる行為は完全に違法行為です。なぜなら,寄付金は自由意志でなされるものだからです。しかも,宗教団体への支出となると,完全にまずい。支出する側に立たされた当方が悩んだことを前回書きました。

当方の町内会では,班長などが直接住民から集めるのは,神社への寄付金の他,交通安全協会への寄付金です。当然のことながら払わない選択肢もあります。当番で回って来る町内会の班長が集める事により,人によっては無言の圧力に感じる人もいるかもしれませんが,当然のことながら払わない選択肢もあります。昔のような赤い羽根共同募金を町内会で集めるという行為はなくなりました。しかしながら。

当方が務めた町内会の総会計の約三分の一は上部団体に支払います。はっきり言って上納金です。その額は世帯数に応じた金額が決まっています。各町内会を統括する地域の自治振興会なるところに集まります。そこのやる事業は,広域の運動会や文化事業などの地区小学校校下での行事となります。むろんそのような事業をやるのに費用は必要ですが,それとは別に各町内会から集めたお金の中から,各種寄付金が「赤い羽根」含む色んな慈善団体等に支出されます。

これもかなりグレーです。
本来寄付金は,支払う人の自由意志で成されるものです。寄付金の強制は明らかに違法です。町内会費から集めたお金の中から支払っていますので,町内会費を支払った住民が知らなければ,これは強制以上の詐取です。むろん,町内会費を支払った住民がそれを知って納得していればそこまでの問題はありませんし,政治や宗教に関わらない中立な社会事業へのものであればこれも問題ありません。しかし,まず寄付金を集める行為を町内会などに委ねる行為は本来まずいといえます。

その様に一括支出にしないと個別に寄付金を集めなくてはならず,住民の手間が大変だからそうしているのだとの自治振興会長(町内会の上部団体の長)の言でした。納得づくでそうしているのならば,角を立てる必要もありません。下手にそれを指摘すると藪蛇になりかねませんので,賢い大人は誰も言いません。空気を読まない当方の様なバカな一年生町内会長が指摘するだけです。

しかし,なぜ住民側に寄付金を集める義務があるのでしょうか?そして,なぜ「個別に寄付金を集める」か「一括支出する」かの二者択一を迫られないといけないのでしょうか?これでは,実質的には法律で禁止されている寄付の強制です。

はっきり言って,住民側が拒否すればいいだけなのですが,それをしない。「寄付金を払うのが当たり前」という,根拠のない「当たり前」がそこにはあるようです。

町内会の上部団体の会計から支出される各種団体への寄付金。その集め方に関しても問題があるわけですが,流石に寄付金を徴収する側も,違法行為になりかねない寄付金募金事業に頰被りするわけにも行かないのでしょう。彼らの手法は,寄付金の一部を集めた側にバックするという事です。労せず寄付金を集める行為に違いはないのですが,募金に要する手間賃を支払って,募金業務を各町内会などに委託しているという論理のようです。なかなか狡猾ですが,それが「当たり前」なのでしょう。むろん法に触れなければ良いですが,本来崇高な慈善団体であるはずの団体が,法的にぎりぎりの事をやって本当に世の中に役立っているのでしょうか?それに,一部バックしている団体もあれば,そうでないところもあります。バックしていない団体においては,その様な言い訳的な脱法手法すら無いのです。


むろん町内会に入るのも自由意志ですので,「嫌なら辞めろ」と言われそうです。
改善すべき部分的な問題点を指摘しても,「嫌なら辞めろ」。ミソもクソも一緒にしたような乱暴な話ですが。

昔,会社でもありました。
「それはオカシイでは無いか?」と言うと,それに対する回答ではなく,「嫌なら辞めろ」。と,当方など入社日前日に言われました。議論も改善の余地すらありません。「辞めたくなかったら,文句言うな」と言う事の様です。非常に乱暴な強制が掛かります。そういう者も少なからずいるという事を肝に銘じておかないといけません。

昔なら「非国民」。今なら「反日」。特定のイデオロギーがあるのか無いのかもはっきりしない愛国者(風の者)に歯向かうやつは,反日だから,日本から出て行けと。理不尽だろうと,法令違反だろうと,大人しく文句言わず従っておれば平穏は保たれると。「和を以て貴しとなす」。「和」が重んじられるのは大いに結構ですが,それを履き違えるか悪用する者が出てくる。

会社を運営してくれる偉い経営者に立てつくような労働組合運動はけしからんといった風潮を生み,ブラック企業がはびこり。不幸の連鎖で首を絞め合う。


托鉢で回って来られる修行僧に,その労に報いる意味でもいくばくかの施しをさせていただくのに何の抵抗もありません。しかし,「当たり前」の様に無条件で町内会から寄付金を取る行為には全く賛同できません。賛成とか反対とかではなく,これは違法行為です。募金を集めたい組織にしてみたら,目立たず広く薄く取れる町内会などの末端がきちんと組織化されているのは重要な事なのでしょう。

何かと町内会と絡みたがる神道は,非常に古い歴史を持った宗教であることは事実です。しかし,今日に生きる宗教として,法令に基づいた形で活動をしてもらわないといけません。税制の優遇は「宗教団体」として受けておきながら,募金や行事面では「宗教では無い」と二枚舌。あるいは他の宗教とは異なる日本の伝統だとして特別扱いしろというのは,駄々っ子と一緒でしょう。数千年?にもおよぶ神道の長い伝統からしたら,日本国憲法などは80年に満たないのですが,神道を国教と定めていた明治憲法の施行期間はさらに短く60年弱です。都合の良いところに戻せというのは非常に虫のいい話でしょう。

神仏を敬うのは「当たり前」。「触らぬ神に祟りなし。」むろん神も仏も崇敬の対象ですが,なぜ神を特別扱いするのでしょう?お寺は無条件で町内から寄付金は集めません。こういう事を言っても,うるさい事を言わない多くの日本人の胸には響かないとは思いますが,このままでは多くの町内会の存続があやしいのも事実ですし,そこから半ば違法行為でお金を集めさせるシステムもいつまでも続かないでしょう。そもそも,人間は自発的にやれる事にのみ活力や創造性を発揮できる存在です。嫌々義理でやらされることが上手く行くわけがありません。

「当たり前」だからやる。「当たり前」という前提が崩れた時,どうするのでしょうか?ころっと態度を変える?それが日本人の特性でもあるのかもしれませんが。否が応でも,曲りなりにも町内の代表の責務を果たしていただいたつもりですので,いろいろ言わせてもらいました。
nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 2

momotaro

障らぬ神(社)に祟りなし
障らぬ赤い羽にも祟りなし
こういう「当たり前の空気感」が怖いですね!
by momotaro (2022-03-03 09:51) 

Enrique

momotaroさん,
何時からそうなっているのか知りませんが,警察OBの会に,どこぞの田舎では消防署にまで寄付金を出していたとか,流石に公務員に寄付金を出すのはオカシイという事になったそうですが,細かいものを入れると,かなりのお金が薄く広く各種団体に流れています。
神社のお札が市広報とセットで配られています。そういう行為が町内会に押し付けられているので,分けると却って面倒な事になります。公民館に神棚があり,お神輿が保管され,お祭り時には神社ののぼりが掲げられ町内会長は氏子代表と。図に乗って政治まで「当たり前」に乗っかってこられては,中立でなければならない立場の人間にはたまったものではありません。
by Enrique (2022-03-07 16:02) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。