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文科省天下り問題よりもっと懸念される事

文科省天下り問題がまだ報道を,賑わしています。
文科省官僚が私学の教授に就任していた。組織ぐるみで斡旋していたと。
しかし,もっと明らかにすべき問題があります。

「教育委員会」って何だ?ということです。

中央集権的な教育の管理が日本の無謀な戦争への突入と敗戦という間違いを招いたとして,戦後GHQは,アメリカの制度である「教育委員会」なるものを作らせました。

いわば,教育の地方分権の様なものだった訳です。当時アメリカには,日本の文部省(現・文部科学省)に相当するものはありませんでした(現在の教育省は,1979年から111年ぶりに復活)ので,重要な役割を果たしたわけです。

しかし,日本では敗戦後も,文部省は存続しましたので,二階建てになったわけです。ここの重要な仕事は何でしょうか?

ざっくり言って戦後GHQは,戦前の日本の中央集権的な教育が,無謀な戦争を招いたとして,教育の地方分権を進めようとしたようです。実態はなんでしょうか?文部科学省の分室でしょうか?教員採用試験を実施する事や教科書を決定することなどらしいのですが,はっきり言えることは,ここは地方官僚の巣窟だという事です。地方では,小中高のある程度のキャリアを積んだ教員は,ここへ出向いて,教育現場を知らない(知ろうともしない)役人に忠誠を誓ってくる事が,管理職への道となっている事です。

首尾よくついた管理職には,リーダーシップを発揮しなければならないとされています。リーダーシップを発揮出来るかどうかは大変そうに見えますが,簡単な事です。いかに上意下達をスムーズにやるかです。現場の教員の意見を聞いてはならないという事です。例えば教職員組合の教員が多数を占める現場で,現場の意見に押し切られたりする校長や教頭は,高等学校ならば,底辺校教育困難校などに回されます。教員も人間ですから,従わざるを得ません。かくして,教育現場への役所の影響力を行使しているわけです。

2006年までの教育基本法であれば,教育は,不当な支配に屈する事なく国民に直接の責任を持って行うことになっていましたから,現場の教員たちの行動の方が法律遵守だった訳ですが,教育基本法が改正される前からも,学校長のリーダーシップ強化や職員会議は議決機関では無いことや国旗国歌の強制などがなされていました。1999年以前は国旗国歌の法制化さえなかった訳ですが,いわば当時,法制上は違法の上意下達と法の遵守を主張する現場との板挟みになった高校の校長が自殺するという事件が起きて,役所の意向を追認するかのような法制化が進められました。

管理職教員は役人に忠誠を誓って,学校で子供たちに接する教員を仕切る。あるいは時の権力に媚び従わせる。こういう構造だという事です。文科省や他省庁の役人が天下りするというのも問題ではありますが,この構造問題の方がはるかに大きいと思います。教育現場をどんどん右傾化させ,あるいは必ずしも国民の信任を得ているとも思えない権力者の意の通りに従わせる事で,日本の活力は上がっているのでしょうか?
全く逆の様に思えてなりません。
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