犬も木から落ちる?
「願いごとの持ち腐れ」なる楽曲が,今年度のNコン(NHK全国学校音楽コンクール)の中学の部の課題曲になった。
この楽曲の採用に動揺が広がっている様だが,私も秋元康氏作詞のこの楽曲に違和感を持った一人だ。
歌謡曲風のわかりやすい曲(失礼ながらあまり上等とは思われない)に氏の意味不明な歌詞を当てはめ,雰囲気で売ろうとする楽曲のように見える。秋元氏はヒットを飛ばしている売れっ子であるし,多くの人に受けているのだから批判は当たらないとする意見もあるようだが,その様な意見も含め,全く日本の現在を象徴している出来事だと感じる。
小学校の部のものも,高等学校の部のものも含めて全て聞いた。どちらも素晴らしいが,中学校の部の課題曲だけが「どうしようなく」酷い。合唱に打ち込む中学生たちが気の毒だ。少なくとも自分の子供を見て気づく事は,合唱を熱心にやっている子供たちとAKBのファン層とは重ならない。いやAKBがどうとかファン層がどうとかジャンルがどうであれ,曲さえ良ければ良いのだが。。。
彼の曲に対するメッセージは以下のものだ。
人は、みんな、願いごとがいっぱいあります。
願うこと、夢を見ることは宝物です。
それをそのままにしていてはもったいない。
よ~く、考えると、本当の願い、叶えたい夢が一つだけ見えて来ます。
その一つを見つけることがしあわせなんだと思います。
氏のメッセージは,「願いごとは宝物。大事にしなければならない。一つだけにしよう。」と言いたい様である。この言葉自体も良く理解できないが,仮にそういう積りならば,タイトルは正反対ではないか。意味的は,「願いごとを持ち腐れないよう」ということだろう。通常タイトルは,内容を一言で表すエッセンスだ。彼のメッセージ通りならば,「願いごとの持ち腐れ」ではなく,「願いごとは宝物」とか「願いごとは一つ」というのが真っ当な主題だろう。彼の歌詞の狙いは「持ち腐れ」というどぎつい言葉のインパクトだけではないのか。そこでは論理さえ否定され,自分の言ったことの責任すら持たない。
「願うことは宝物」というのなら,沢山持ったって良いではないか。何やら危なっかしい前提で,「魔法」やら何やらに持って行かれたら,デタラメ・ワールドの現出だ。こんな意味不明な前提に付和雷同してしまうと,全く訳のわからないところに連れて行かれてしまう危険を覚悟しなくてはならない。
タイトルからすれば,「願いごと=宝物」。願いごとを持ち腐れにしているととれる。「宝の持ち腐れ」の「宝」を「願いごと」に置き換えた訳だが,これではまるで,「犬も木から落ちる」と言っていると言っている様なものだ。「犬=猿」。だから,犬も木から落ちると。
いや,これを解釈するのも時間のムダかもしれない。
言える事は,言葉あるいは論理という宝物を無邪気に破壊している者だということだ。しかもそういうものを,視聴料を強制的に取る放送局が取り上げて,真摯な中学生たちに歌わせようとしているという事実である。知性の劣化を象徴した現象がまた一つ起こっている。
音楽の受け取り方は感性の問題である。良いと思えば聞けば良いし,嫌なら聞かなければ良い事だ。しかし,これがコンクールの課題曲に使われるとなると話は別だ。合唱に取り組んでいる子供たちは嫌でもこれに半年間にわたって必死に取り組まなくてはならないからだ。
小学校の部課題曲
高等学校の部課題曲
この楽曲の採用に動揺が広がっている様だが,私も秋元康氏作詞のこの楽曲に違和感を持った一人だ。
歌謡曲風のわかりやすい曲(失礼ながらあまり上等とは思われない)に氏の意味不明な歌詞を当てはめ,雰囲気で売ろうとする楽曲のように見える。秋元氏はヒットを飛ばしている売れっ子であるし,多くの人に受けているのだから批判は当たらないとする意見もあるようだが,その様な意見も含め,全く日本の現在を象徴している出来事だと感じる。
小学校の部のものも,高等学校の部のものも含めて全て聞いた。どちらも素晴らしいが,中学校の部の課題曲だけが「どうしようなく」酷い。合唱に打ち込む中学生たちが気の毒だ。少なくとも自分の子供を見て気づく事は,合唱を熱心にやっている子供たちとAKBのファン層とは重ならない。いやAKBがどうとかファン層がどうとかジャンルがどうであれ,曲さえ良ければ良いのだが。。。
彼の曲に対するメッセージは以下のものだ。
人は、みんな、願いごとがいっぱいあります。
願うこと、夢を見ることは宝物です。
それをそのままにしていてはもったいない。
よ~く、考えると、本当の願い、叶えたい夢が一つだけ見えて来ます。
その一つを見つけることがしあわせなんだと思います。
氏のメッセージは,「願いごとは宝物。大事にしなければならない。一つだけにしよう。」と言いたい様である。この言葉自体も良く理解できないが,仮にそういう積りならば,タイトルは正反対ではないか。意味的は,「願いごとを持ち腐れないよう」ということだろう。通常タイトルは,内容を一言で表すエッセンスだ。彼のメッセージ通りならば,「願いごとの持ち腐れ」ではなく,「願いごとは宝物」とか「願いごとは一つ」というのが真っ当な主題だろう。彼の歌詞の狙いは「持ち腐れ」というどぎつい言葉のインパクトだけではないのか。そこでは論理さえ否定され,自分の言ったことの責任すら持たない。
「願うことは宝物」というのなら,沢山持ったって良いではないか。何やら危なっかしい前提で,「魔法」やら何やらに持って行かれたら,デタラメ・ワールドの現出だ。こんな意味不明な前提に付和雷同してしまうと,全く訳のわからないところに連れて行かれてしまう危険を覚悟しなくてはならない。
タイトルからすれば,「願いごと=宝物」。願いごとを持ち腐れにしているととれる。「宝の持ち腐れ」の「宝」を「願いごと」に置き換えた訳だが,これではまるで,「犬も木から落ちる」と言っていると言っている様なものだ。「犬=猿」。だから,犬も木から落ちると。
いや,これを解釈するのも時間のムダかもしれない。
言える事は,言葉あるいは論理という宝物を無邪気に破壊している者だということだ。しかもそういうものを,視聴料を強制的に取る放送局が取り上げて,真摯な中学生たちに歌わせようとしているという事実である。知性の劣化を象徴した現象がまた一つ起こっている。
音楽の受け取り方は感性の問題である。良いと思えば聞けば良いし,嫌なら聞かなければ良い事だ。しかし,これがコンクールの課題曲に使われるとなると話は別だ。合唱に取り組んでいる子供たちは嫌でもこれに半年間にわたって必死に取り組まなくてはならないからだ。
小学校の部課題曲
高等学校の部課題曲
まず聴いてみました。何だか訴えるものがわかりにくい
秋元康作詞であると言う事を考えないで聴いてみても
ピンとこないし、伝わるものは無いです
たった一つは何の為でしょうか?
秋元廉氏は ここまで政権にすり寄る人だつたのかと
常日頃思っていましたが、なぜNHKはこんな曲を採用したのでしょう
私の好きな曲は「拝啓15の君へ」です
by majyo (2017-04-15 20:14)
majyoさん,子供が合唱をやっているので,真面目に聴いていましたが,「んっ何だこれは?」という感じでした。小学校の部も,高等学校の部も,いずれもひたむきな一生懸命さが感じられますが,中学の部は,特に詩が酷くそれに伴う題名が酷い。曲も下手くそな歌謡風。詩は何を言いたいのか分からないというのが正直なところで,作詞者からのメッセージを聞いても全くわかりません。良い様にとったり,悪い様に取る事もできますが,要は明確なメッセージから逃げているのだと思います。何のメッセージも無いというより,敢えて解釈しませんが悪い様にしか感じられません。熱い想いとか,真摯な想いとかが無いのだと思います。
「拝啓15の君へ」は私も良い曲だと思います。生徒たちがひたむきに,半年もの間,取り組むに値する曲かどうかという事です。これは,一回聴くと嫌になる曲です。NHKの担当者が何を考えたのかは分かりません。バカの考える事を詮索するのも馬鹿馬鹿しい事です。
by Enrique (2017-04-15 21:05)
確かに歌のメッセージは「願いごとは持ち腐れにしないように」とか、願いごとは一つに絞って叶えるように」ですね、とするとこのタイトルは否定すべき命題で、口にするだに嫌ですね。
NHKが課題曲にすれば影響が大きいですからね、ご趣旨よくわかります。
by momotaro (2017-04-19 11:33)
キャッチコピーにしてもおもわずくちずさんで
一生心に残る曲であって欲しいです。
by gonntan (2017-04-19 19:03)
momotaroさん,全くそういうことですね。怒りで変な例えを出してしまいました。
AKBに魅力を感じるファンは否定しません。歌とそれ以外の様々な魅力を感じているのでしょう。だとすると,歌のみで勝負する課題曲としては失格だということです。おまけにこれをAKBのオリジナル曲としても売り出そうといういうわけですから,何をやってるんだと言いたくなります。
by Enrique (2017-04-19 22:13)
gonntanさん,これは全くテキトウに作った曲ですね。半年間も取り組む子供達への教育的価値なんて微塵も考えていませんね。
by Enrique (2017-04-19 22:17)