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データの向こうに見えるもの

昨今ビッグデータなるものが脚光を浴びています。AppleやGoogleなどは,一昔前では思いもよらなかった大量のデータを保有しているはずです。勘と経験も大事ですが,適切にとられた正確なデータにかなう訳がありません。

データは取れるなら取った方が良いに決まっています。
ただ間違ったデータほど害になるものはありませんし,間違いでなくてもどのような条件下で取られたデータかをはっきりさせないといけません。それ無しで,何でもかんでもデータ,数字しか見なくなるのも,大変な弊害になります。勘と経験のほうがマシだったとなりかねません。

数字自体は真実ですが,それがどのような条件下で得られた数字なのか,それの無いデータは役に立たないどころか害にしかなりません。やろうと思えば,改ざん無しに都合の良いデータに見せてしまう事だって可能でしょう。データを発表する者はそれがどのような条件下で得られたものかをはっきりさせる義務がありますし,それを見る者は注意深く観察する必要があります。むしろ,数字を読むことにこそ勘と経験を活かして,間違った結論に至らない様にしないとけません。

データの取り方に関してもそうですが,データによって政策等を決めるのではなくて,こうしたいという意図が先にあって,それに都合の良いデータをつまみ食い的に使うということも往々にしてあるようです。これではデータ改ざんに近いものだと思います。

例えば,学校でのいじめの数字が少ないから良いのでしょうか?その数字が出てくるにはどういうプロセスがあるのかを考察しなければ,明らかに間違った結論や対策に至るでしょう。その数字が少ない裏には,バレない様に陰湿化していたり,報告を上げずに握りつぶす体質だったりとか,数字が少ないのは実は数字が多い以上に大きな問題が潜んでいるかもしれません。

何か問題が起こると,緊急調査なるものをやります。管轄のお役所が下々に報告を上げろとやります。もちろん沢山出た方が問題となるでしょうから,下々は自分で自分の首を絞める様なことはしないことでしょう。むしろ,本当にひどいところは,まともな報告など出来ないかもしれません。
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