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ある経験

高1の時だったでしょうか。
現国の授業で,宮沢賢治のある詩の部分部分を考えていました。

「最初の導入部はどこまで?」
という問いかけで,最初の方に当てられました。

「今考えています」
と答え,その後別の者からいくつかの回答が出ましたが,
先生は,また私に当てました。私は,
「〜のここまでです」
と答えたところ,クラスからどっと笑いが出て,私は赤面してしまいました。

先生は,構わずもう一人二人に当てて,違う回答を得ました。
そして,事も無げに,答えは私のが合っていると言ってくれました。

一同しーんとなってしまいました。

気まずさの中で,なんだ多数派が正しいわけでも無いじゃないかと,しみじみ思いました。
それ以降も,自分の意見を言わなかったために損をしたような経験が何回もありました。自分の思った意見は言った方が良いと思いました。ただ,多くの人と違う意見を言うのは勇気が要ります。

大人になってからも,明らかに論理的におかしなこと,正しくない事を前提に議論している事を経験しました。それもそれなりに地位のある方々が。私はそれは時間の無駄だと思うのですが,それが重要な仕事だと言われると致し方ありません。世に役立つ仕事をした方が良いに決まっているのです。

家族と自分が何とか食えるならば,無駄な仕事をして高い地位に就くより,いくばくかは世に貢献しているという実感の方が何ぼか精神衛生上良好です。
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majyo

本当にそう思います。
大多数の方の思う事が正しいなんて事はありません。
真理は自分で見つけるもので、教わるものでもないと思います
我が家はそんな話ばかりしています。
そして地位や肩書で物を見ないようにしています。
だから、支持率とかは気にしないようにしてますよ
自分が少ないところにいても、多いところに行こうとは
思いませんから。
この社会では学習しても、学び問う人が少ないという事を
良く話しています。


by majyo (2015-01-31 21:15) 

Enrique

当家では,妻や子供らの自主性を尊重しようと考えています。
人の意見を信じるより,自分の頭で考えないといけません。明らかにおかしなことを認めて多数派に付くなんて,考えられない事です。不幸な多数派にはなりたくないと思います。
by Enrique (2015-02-02 14:05) 

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