SSブログ

NHKさんへの挽歌もしくは応援歌 [マスコミ監視]

普段TVは見ないのですが,たまたま19日の夜のニュースをTVで見ましたら,ビリビリ来ました。「国立大学文系が廃止や転換へ」だかというテロップを報道中固定して,いくつかの大学の取り組みを紹介していました。これはかなり「悪質」だと判定します。ラジオですと言葉だけの勝負ですが,TVですとテロップや映像で印象操作出来てしまいます。実際には学部廃止を決めている大学は無いそうですが,今までろくに報道してないのに(昨年報道したのは東京新聞だけだそうです),既定路線の様に報道するのですから。

何かと物議を醸す会長職の籾井さんだって,国立大の経済学部を月千円の授業料で学んだはずです。その上,家庭の経済状況によっては,返さなくても良い奨学金もあったはずです。

現在はどうでしょうか?私立と大差ない年間52万円ほどの授業料で,しかも「奨学金」を受けてもそれは,本来の奨学金ではなく,教育ローンの負債を担ぐ事になります。

授業料を上げ続けた国立大は,今度は独法(実際には「国立大学法人」だが「独立行政法人」と大差無い模様)にして,運営交付金を一定比率づつ機械的に減らし続けていますので,潰れるのは時間の問題です。現状でさえ,酷い状況なのに!無理矢理作って潰れかけている法科大学院は,学部でなくて大学院だからご丁寧に存続するのでしょうか?

高等教育に限らず,全教育に掛けるカネを極端に削った上に,今度は文系学部は役に立たないから廃止だと。公平な競争で努力したものが報われる社会とか言うのは,全くの大ウソです。従来,そのような制度だったものをどんどん破壊しているのですから。かつての国立大は,多少税金を掛けても,世の中から優秀な人を発掘して育てる方が社会のプラスになると考えてのものでした。

国立文系の切り捨てに対して,内田樹氏は「天下の愚策」と批判しています。

『国立大学改革亡国論「文系学部廃止」は天下の愚策』

至極まっとうな指摘だと思います。本来なら,教育チャンネルを持つNHKなどが,きちんと伝えないといけないはずですが,何ですか昨日のニュースは?昨年,各大学に文科省から通達があったものを,まともに伝えて来なかったどころか,今頃になってまるで「既定路線」かのごとく「国立大学文系が廃止や転換へ」と。

では,理系は良いのかというと,そうでもありません。内田氏の指摘は文系に限ったものではありません。今回たまたま文系がやり玉に上がっているだけで,理系のほうが金が取れて成果が見え易いからだけの事で,同じ様に劣化が進んでいると言えます。論文数がどんどん減り,研究不正が後を絶たないのは何故なのでしょうか?その辺のことは,別ブログで少し触れた事があります。

NHK問題に移れば,私は普段ラジオしか聞きませんが,NHKの受信料を払っています。
正直なところ,タダでも見たくないですし,損害賠償を請求したいくらいです。ですから,支払わないで抗議するというのが最も効果的だと思います。民放が,スポンサーに不利益にならない内容を報道するのは致し方ない事でしょうが,NHKさんは,公共放送としての矜持はどうしたのでしょうか?むしろ金を払って価値の無いものあるいは有害なものを押しつけられているのですから,遠慮なく指摘したいと思います。

私の父はNHKファンでした。それが私にも伝染したのか長年ファンでしたが,昨今急速に嫌いになりました。ちょっとしたニュースの端々からでも昨今は国民に害があると思います。

かつてなら,広く視聴者に教養を提供したり,国民一般にあまり知られていない事柄を伝えたりして,視聴者ひいては国民一般にプラスになった面があったと思います。私が印象に残っている報道に,車のサイド・ドアビームの件があります。かつて同じ車種でも,アメリカ向けの輸出車には装備されているのに,国内向けの乗用車はこの安全対策がなされていませんでした。かつてのNHKは,映像で示すと言うテレビの強みを活かして,しっかりと問題提示をしました。もしCM料で運営されている民放だったら,絶対出来ない芸当でした。

私の父は,「税金は払わなくても,NHKの受信料は払う」と言ってはばかりませんでした。理由は,「税金は何に使われているか分からんが,NHKは放送を見せると言う事がはっきりしているからだ。」と言っていました。それなりにスジは通っていました。

しかし,例えば買った品物の品質が悪ければ,返品やクレームは当然の事です。放送のサービスならば,意に沿わない報道を繰り返す放送局に,見もしないのに,金を払うのは理不尽な事です。むしろ払ったお金を返金して貰わないといけない位のものです。本来ならば,需要供給の関係で,淘汰されなければならない事でしょう。民営化した方が良いと言う意見は,その点への指摘でしょう。

しかし,私は必ずしもそうは思いません。視聴者の視点に立った報道をする為には,視聴者が直接支払うことも必要だと思うからです。そして,NHKが受信料を取る大義名分も,法律で定められているという点に加え,「公共放送の使命を果たすために,契約者の皆さん払って下さい。」と言うものでしょうが,それは「公共放送の使命」という前提が果たされている場合に言える事で,既に公共放送の使命が果たされてないのですから,払う必要は無いともいえるでしょう。害になるものに金を払うことを「盗人に追い金」と言います。元NHKファンとしては,一刻もはやく盗人ではなく堅気に戻る事を期待します。
nice!(16)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 16

コメント 4

majyo

固定テロップとは驚きます。
災害情報でもないのに、なぜなんでしょうか?
これが決まったんだぞ!と告知しているのですか?
値上げするのは知っていましたが
国立は貧しい子でも入れるような配慮が必要ですが
いまや奨学金はローンです
そして返せなければ、自衛隊でのインターシップ
これを私たちは、経済的徴兵制といい
これを知ってるかい?と 語りかけます

最後の7行ですが
NHKへの応援歌であり、そして苦言でもありますね
まっとうな公共放送に早く戻って欲しいです。
たとえ見る時間が少なくとも キチンと払いますから



by majyo (2015-07-20 22:30) 

Enrique

majyoさん,ありがとうございます。
これを見た視聴者の人たちは,
「ああ,そうなっているのか。」
と多くの人が思ってしまいますね。
明治時代から培われた国の教育体制を一遍に破壊しようという,
とんでもない事が,行われようとしているのにです。

これに限らずですが,今回の安保法制の報道ぶり見ても,
いつの日か遠くない将来,
NHKさんは自らの報道姿勢を検証して,反省して欲しいものです。
かの方がお辞めになるまで,気がつき次第批判したいと思いますが,
本当に突っ込みどころ満載で困ってしまいます。

意見の分かれる事実は事実として,
最低限,なぜそのまま伝える事が出来ないのか?ということです。
ひどさに慣れっこにならない様,
気をつけないといけません。

by Enrique (2015-07-21 17:18) 

アヨアン・イゴカー

教育機会の均等という観点からは、国立大学の授業料は無料であるべきだと思います。ドイツのように。全部の国立大学が無償が難しいなら一部でもよい。

また、文系学部の軽視についても、大反対です。以前、「白熱教室in阪大」のような番組があり、3.11の原発事故がなぜ防げなかったかと話題として、何が失敗を齎しうるのかを考えさせる授業でした。大変興味深く見ていました。理系の阪大の学生たちには、自分たちの出した判断は、(知識のない)素人が分かるはずもなく、分からなくてもよい、専門家の言うことを黙って聞いていればよい、と言う意味にとることの出来る発言をする者がいました。が、文系の学部の学生が、理系分野については自分は素人ではあっても、知る権利はある、充分に説明する説明責任が研究者には必要だ、と言う真っ当な発言をしていました。狭量な理系の研究者の中には、上からの命令、指示であるから、その命令指示自体が間違っているかどうかを考えてみることもない人々もいるようです。或いは研究そのものが面白いからと言って、倫理的、道義的に問題途なりそうな研究をどんどん続けている学者もいます。「利巧な」だけの彼らは人間としては、未熟な人間ですが、自分たちはエリートだと思っている節もあります。

話は飛びますが、旧制高校などでは理系であっても文系の哲学や文学を、文系の学生でも数学や科学を幅広く勉強させられる土壌があったと思います。勿論、一定以上のレベルの旧制高校ではありますが。これは、人間が学問をする時の基礎作りになっていることは間違いないと思います。物事の判断の為には大局的に見る必要があります。そのためには基礎的な知識と思考能力が不可欠です。
成果主義は如何にも合理的に見えますが、長期的な観点からは、失う物も多いのは間違いありません。合理化するために削り、切り捨てたもろもろがそれです。成果の出なかった失敗、成果に至らなかった過程の中には宝石や宝石の原石が含まれているものだと確信しています。

現状では、NHKがどれだけ政権の御用聞きをしているか注意して見ていますが、そんな必要がなくなるように、NHKの良識派に期待しています。
by アヨアン・イゴカー (2015-07-21 22:50) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,ありがとうございます。
おっしゃるように,理系の者にも歴史や倫理,哲学は必須です。管理者やリーダーに成る者にも必須です。下々の者にのみ倫理を押し付けている様に思います。本来はリーダーに一番必要な素養なのに。
文系の者にも理系の学問は基礎的な考え方は必要です。特に,事実に基づいた議論や論理的思考は文理限らず重要な思います。そうでないと,議論しても,まるで噛み合わず,水掛け論,論点のはぐらかしに終始してしまします。「会して議せず,議せずして決する」というように,国会が全く形骸化してしまっています。
そのような状況にあり,むしろ目先にとらわれない,中立公平自由な教養人を育成しないといけないのに,全く逆の事をやっています。逆をやれば,奈落へと突き進むしか無いのにです。リベラルアーツ教育の切り捨て,そして遂には,国立大学の文系切り捨て。この10年以上この国がやって来た事は,天に唾をし,己で己の首を絞めることになってしまっています。
わずかの国費の削減の代償は余りにも大きいものしょう。
あの,スティーブ・ジョブスは面白くないカレッジを中退して,面白そうな「カリグラフィー」の授業にもぐりこんでいたといいます。後年Macの開発の大ヒントになったというのは,本人も語っている有名な話です。彼は,そういう専門外の学問に学び,日本のソニーに学び,親友の天才ウォズニアックに出会い,才能を開花させました。一つでも欠けたら,ダメだったと思いますが,「ジョブスに学べ」とか言いながら,どれもこれも反する事をやっています。
無知なのか確信犯なのか,何が何でも日本をダメにしたい輩がリーダーでいる限り,劣化は止まりません。教育を軽視する国に,発展したためしがありません。そしてそれに加担する一部の者たちを,分厚い良識派が協力して排除しなければならないと思います。

by Enrique (2015-07-22 13:43) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。